#歴史
時は戦国時代 後期
永禄4(1561) 2月
伯父である水野信元を介して織田信長と和議を結んだ松平元康は、今川派である 東条城の吉良義昭を降伏させ 今川との決別を明確に示した。
東三河の抑えに譜代の重臣 酒井忠次を向かわせた元康は、自ら隊を率い 西郡を領する鵜殿長照の上ノ郷城を攻め落とし 宝飯郡を征圧。
その後も休むことなく東三河の牧野や小原 朝比奈 戸田といった国衆との一進一退の攻防を続けた。
その情勢は 駿河 今川館の今川氏真に逐一届けられていた。
同盟先の小田原北条家が長尾景虎を撤退させたとの報せを受けた氏真は、松平元康を屈服させるべく 自ら三河への出陣を決断。
今川家当主 自らの進軍に遠江や東三河の国衆らは奮起し 1万を超える今川軍が東三河に参集。
それを知った松平元康は 氏真との決戦を覚悟し その決意を諸将らに示すべく、今川義元より授かった「元」の字を捨て 松平家康と名を改め東三河に入った。
雌雄を決っしたい家康は 隊を前進させ 牛久保城の今川本隊をおびき出す策にでるも、数を武器に家康を降伏させようと目論んでいた氏真は城を出ることをせず、駿河での混乱の噂を口実に 一度も兵刃を交えず撤退してしまった。
氏真撤退を機に東三河の今川派国衆攻略へと動こうとした家康であったが、しかし 長く離れていた松平領内で問題が発生してしまった。
蟄居させていた 吉良義昭が 大草松平の力を借り 手薄の東条城を奪ってしまったのだ。
さらには 上野城の酒井忠尚も松平を離反すると伝達が入り 家康もまた東三河からの撤退を決断。
家康は混乱を拡大させまいと 本多正信を酒井忠尚の説得に当たらせた。
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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
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