時は戦国時代 初期
室町幕府管領家である畠山氏や斯波氏の家督争いに端を発し、足利将軍家の後継者問題も絡み 細川勝元と山名宗全の有力守護大名が東西に分かれてぶつかり合う大乱へと発展した。
後の世で『応仁・文明の乱』と呼ばれることとなる およそ10年続いた騒乱は 細川勝元と山名宗全の死により終息していき、畿内に平穏な暮らしが戻り始めていた。
そんな矢先の 明応2年(1493)4月
細川勝元の跡を継いだ細川政元が 突如クーデターを起こし 幕府 第10代将軍 足利義材を幽閉させ 新たに 足利義澄を将軍に据えたのだ。
なんとか幽閉先を抜け出した足利義材は 名を足利義尹と改め 復職をめざすべく 西国の京と謳われる周防の守護大名 大内義興を頼った。
周防の国府である豪華絢爛な大内館を本拠に 長門国、そして九州 豊前国や筑前国の北部、さらには石見国西部や安芸国を支配下におく義興は、足利義尹の庇護を受け入れ 上洛の時を待った。
迎えた 永正4年(1507)6月 管領 細川政元が暗殺されたことで発生した『永正の錯乱』で 政元の養子 高国や澄元らによる内訌が勃発。これを好機と捉えた大内義興は 足利義尹を擁しての上洛を決断。
義興の号令に 出雲や伯耆を支配下に置く 尼子経久や 安芸の分郡守護 武田元繁をはじめ 毛利興元 天野興定 平賀弘保 熊谷元直といった安芸国衆も次々に京へ向け出陣。
3万とも4万とも伝わる大内軍を味方とした細川高国は 細川澄元や三好之長を破り 足利義尹を将軍に返り咲かせることに成功。
しかし 澄元や三好軍による反撃を度々受け、大内義興をはじめ 西国衆は国に戻れず4年の月日が流れていった。
その頃 本領の留守を任されていた 毛利一門衆 志道広良は 惣領主 毛利興元不在の中、興元の弟 松寿丸の元服の義を執り行っていた…
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※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
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※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
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