<毛利シリーズ②話>
時は戦国時代 初期
永正8年(1511)夏
西国の大大名 大内義興の命により丹波で在陣していた 安芸毛利家当主 毛利興元は 対立する 細川澄元らが勢力を盛り返してきたことを受け 高橋久光 吉川国経 平賀弘保といった安芸や石見の国衆らとともに無断で本国に帰還、国衆一揆(国人一揆)を起こし大内の傘下を抜ける決断をする。
安芸国では大内義興を悩ませるもう一つの問題が発生していた。
それは 安芸の一之宮 厳島神社の神主家当主 藤原教親とその嫡子 興親が相次いで病死してしまったことから 後継の座を巡って一族の友田家と小方家で内紛状態となっていたことだ。
更には出雲を支配する尼子経久が安芸を狙う情報も入り 義興は安芸西部を領する分郡守護 武田元繁を京から戻らせ 対応に当たらせた。
しかし 安芸の守護に返り咲くことを大志とする武田元繁は 反旗を翻し 安芸から大内派を一掃する動きに出た。
それを知った義興は 重臣 陶 興房の唱えた「一揆国衆の懐柔策」を採用。
一定の成果を得た高橋 吉川 毛利は義興の要請に応じ出陣、武田領北部の有田城を急襲し落城させたのだ。
城を奪われた武田元繁は尼子経久と手を組むことを決断。
尼子軍の度重なる襲来に毛利興元は奮戦するも、家臣を次々に失う現実から逃げるかの様に酒を多量に摂取してしまい 24歳の若さでこの世を去ってしまった。
毛利の家督はまだ2歳の嫡男 幸松丸が継ぎ 興元の弟 元就と 幸松丸の外祖父 高橋久光が後見役となり立て直しを図るも、これを好機と捉えた武田元繁は 主力4000を率い有田城奪還へと動いた。
援軍要請を受けた毛利元就は 主力1000を率い中井手の地にて対峙。
劣勢であることを逆手に取る策略で武田元繁を討ち 武田軍を掃討する大勝利を収めた。
この大番狂わせの報せは 出雲国 月山富田城の尼子経久にすぐにも届けられた…
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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
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