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『SLUDGE LIFE』レビュー。ヘドロまみれの薄汚い島をグラフィティで彩る異色のオープンワールド形式アクションアドベンチャー【おすすめゲームレビュー】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

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 ファミ通.comの編集者&ライターが夏休みのおすすめゲームをひたすら紹介する連載企画。今回取り扱う作品は、Nintendo Switch、PC用ソフト『SLUDGE LIFE』です。

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【こういう人におすすめ】

ユニークな雰囲気のゲームが好きな人
グラフィティ文化に興味がある人
数時間でサクッと終わるゲームを求めている人

ヨージロのおすすめゲーム
『SLUDGE LIFE』

プラットフォーム:Nintendo Switch、PC

発売日:2021年6月3日発売

発売元:Devolver Digital

開発元:Terri Vellmann, Doseone

価格:Nintendo Switch/1520円[税込]、Steam/1700円[税込]

対象年齢:CERO 15歳以上対象

備考:ダウンロード専売

『SLUDGE LIFE』ニンテンドーeショップサイト

『SLUDGE LIFE』Steamサイト
 1980年代初頭のニューヨークを舞台に、ヒップホップ黎明期の熱気をグラフィティカルチャー中心に記録したドキュメンタリー映画『Style Wars』(スタイルウォーズ)。この映画の冒頭、グラフィティが人々にどう受け入れられていたのかについて、ナレーションはつぎのように説明する。
 「それをアートと捉える人もいるが 大半の人にとって 解決されることのない悩みの種であり 社会的コントロールが失われたことを象徴している」
 なるほど、確かにグラフィティをフィーチャーした異色のアクション・アドベンチャーゲーム『SLUDGE LIFE』の世界は見事なまでに「社会的コントロールが失われ」ている。

 舞台はヘドロ(SLUDGE)に囲まれ、公害物質によって汚染された島。ここは老若男女がところ構わずシギー(タバコ)を吸い、幻覚キノコの“ズーム”でトリップしてはゲロをまき散らし、仕事もせずにテレビに映るナメクジ(SLUG)をボケーッと眺め、野良犬がセメント袋と交尾をし、ハンバーガーショップはストライキ中(ただし残飯の持ち帰りはOK)で、住民と会話すれば「下のトイレにすげえデカイうんこがあったよな」みたいなことを嬉々として言ってくるような場所だ。
 なにもかもがサイテーで、気だるくて、未来がない。そんな『SLUDGE LIFE』の世界だが、居心地だけは妙にいい。
 この島の人たちはみんなどこかネジが外れているけれど基本的にはフレンドリー(一部はいきなり殴ってくるけど)だし、アレをやれコレをやれと指示してくることもないからだ。
 そしてゲームプレイの面においても、本作はプレイヤーに対してわかりやすい指示をしてこない。
“やるべきこと”はとくにないが“やれること”は自由だ

 ゲームを起動すると、くぐもったサウンドとともに画面にはノイズが走る歪んだPCのデスクトップが映し出される。いくつか並ぶアイコンの中から“PLAY”を選択した瞬間、画面はそのPCを操作していた主人公の視点に切り替わり、そのままゲームスタートだ。オープニングもチュートリアルもなしに、プレイヤーは薄汚い世界に放り出される。
 さて、なにをやればいいのか? 『SLUDGE LIFE』は一人称視点で“オープンワールド形式”を謳っているが、一般的なオープンワールドのようにマップは広くないし、行く手を阻む敵はいないので攻撃などのアクションはなく、ストーリー進行のために達成すべきミッションもない(ToDoリストはあるが、実績達成のための収集要素でしかない)。
 ハッキリ言って本作に“やるべきこと”はとくにない。だが、“やれること”はいろいろな意味で自由だ。

 プレイヤーが操作する主人公の“ゴースト”は、便器を見つければ瞬間的にションベンを飛ばし、ボタンひとつで自由自在に屁がこけて、島の権力者のメシにツバをトッピングする。シギーとズームは、もちろんゴーストも大好物。とくにズームをキメたときの幻覚体験は一見の価値ありだ。幽体離脱したかのように意識が空に舞い上がり、しばしの空中散歩を堪能したあとは……激しい嘔吐とともにシラフに戻るのである。
 あとはなんと言っても、グラフィティだ。これこそ"社会的コントロール"を失った『SLUDGE LIFE』における自由の象徴であり、ゲームプレイのキモでもある。
『SLUDGE LIFE』はゲームとしてちゃんと“遊べる”作品でもある

 グラフィティはスプレー缶のアイコンが表示される場所に描くことができるのだが、ターゲットとなる場所がかなりの高所だったり、小さな足場しかない壁面であったりすることが少なくない。そこへ辿り着くために地形や建物を観察、探索し、しかるべきルートを見つけるのはなかなかに夢中にさせられるし、建造物をパルクールで上へ上へと登っていく緊張感と、人々が驚くような場所にBOM(グラフィティを描くこと)できたときの達成感は格別だ。

 歪んだビジュアル、ドープなサウンド、イカれた設定と人々……など、本作を構成する要素の目立つ部分だけを見ると、雰囲気重視のそれこそウォーキング・シミュレーターのような作品を想像するかもしれないが、実際に触ってみるとちゃんとゲームとして“遊べる”内容であることは強調しておきたい。
 ちなみにグラフィティをBOMできる場所は全部で100ヵ所。建物の壁面に、巨大看板に、ヘドロの海に浮かぶ岩に、公害を撒き散らすガスタンクなどなど、島内のありとあらゆる場所に自身の名やアイコンをBOMしてAll City(都市全域にグラフィティを拡散すること)を目指してもいいし……目指さなくてもいい。改めて言うが、『SLUDGE LIFE』には“やるべきこと”はとくにないのだから。
 あんまり気負わず、まあ……咥えシギーでもやりながらてきとうにやっていくくらいがちょうどいい。
タガーどうしのコミュニケーション、共同作業も楽しい

 ゴーストのようにグラフィティをGet Up(あらゆる場所にグラフィティを拡散すること)する人たちのことをTagger(タガー)と呼ぶ。島内ではゴースト以外にも複数名のタガーが活動しており、彼らが残したグラフィティは各所で見ることができる。散策していればいずれコミュニケーションの機会も訪れるだろう。
 双頭の隻眼ネコがアイコンの姉妹タガー(彼女たち自身も隻眼だ)、サブマシンガンのウージーのアイコンをBOMする反権力の塊のようなUZI(ウージー)、キマっちゃってる感じの表情のハエが印象的なMOSCA……みんなクセ強めだが、悪いヤツじゃない。
 島内にいくつかある大看板では、ほかのタガーによる巨大なグラフィティに対してゴーストがグラフィティを描き足すこともある。他人のグラフィティに上書きすることはGoin Overと呼ばれ、タガーどうしの争いの元となる攻撃的な行為だ。

 しかし、『SLUDGE LIFE』におけるソレは抗争とは真逆で、タガーどうしの友好の証となる。個性と個性が混じり合ったグラフィティはまさにマスターピース(グラフィティ用語的には誤った使いかただが、まあここは傑作くらいの意味で捉えてほしい)と呼ぶにふさわしいできばえで一見の価値アリだ。
 ぜひ、すべてのタガーとの共同作業を目指……してもいいし、べつにしなくてもいい。これですら、やるべきことではないのだから。
『SLUDGE LIFE』はまるでゲームの姿をしたグラフィティだ
 我ながらしつこいくらいに『SLUDGE LIFE』には“やるべきこと”がないと書いた。なぜないのかと言えば、本作には“物語”がないからだ。あるのは大量の魅力的な“設定”だけで、そしてその設定に対してプレイヤーはなにも干渉できない。
 ゲームが始まるときと終わるときでこの世界に変化があるとすれば、それは島内に描かれたグラフィティの数くらいだろう(あとはゴーストが使うデスクトップPCのアイコンの数とか)。
 だからこのゲームはなんの説明もなしに唐突に始まり、島内をブラブラしながらグラフィティをBOMして、さまざまな“設定”を眺めているうちになんとなくエンディングを迎える。プレイヤーの行動によって何かが動き出し、それが大きなうねりとなってクライマックスを迎える……ような物語を求めている人が遊んだら「なにこれ?」と呆気にとられるかもしれない(ただし、一部エンディングはなかなかに“爆発的”なカタルシスがある)。
 僕はこのプレイヤーの介入と理解を拒否するような『SLUDGE LIFE』の突き放したスタンスに、これ以上ないグラフィティへの深い理解があるような気がするのだ。

 グラフィティ文化における最初の有名人は、ニューヨークで“Taki 183”というタグをAll Cityしたタガーだった。
 グラフィティと聞くとカラフルで立体感があり、なんて書かれているのか読み取れないほどに文字がデザインされたものを想像する人が多いかもしれないが、本来はTaki 183のように自分の名前(本名である必要はない)と住んでいる番地を組み合わせたシンプルなものだった。またそれを描く目的も“自身の名を都市に拡散するため”とシンプルなものであり、メッセージ性や物語は必要ないのである。
 つまり「俺はここにいるぞ!」というむき出しのエゴによって都市に出現するのがグラフィティだ。その勢いを前にしたとき、我々にできるのは『Style Wars』のナレーションが言ったとおり「アートと捉える」か「解決されることのない悩みの種」にするかのどちらかしかないのである。

 このようなリテラシーを踏まえて『SLUDGE LIFE』のことを考えてみると、突出した個性を持ち、プレイヤーの介入をもってしてもその個性は一切揺るがず、ただ設定を眺めることしかできない本作は、まるでゲームの姿をしたグラフィティだ。
 だから本作のことを薄汚くて目障りなゲームと嫌ってもいいし、目が離せないほどに魅了される最高のゲーム、と絶賛したってどっちでもいい。とりあえず僕は後者の立場だ。
 なお、本作はマルチエンディングを採用しているが、すべてのエンディングを見るだけなら2~3時間で終わる。ToDoリストを全部埋めたとしても、たぶん5時間程度だろう。そして前述のとおり終わりかたはだいぶ呆気ない。この刹那的な感じも、都市において描いては消されるをくり返すグラフィティを彷彿とさせて、僕としてはなんともしっくりくるのだ。
似ているようで思想は若干異なる(気がする)『2』もぜひ遊んで! 

 我ながらキレイに文章をまとめた感じもあるのだが、じつは2023年6月28日に続編となる『SLUDGE LIFE 2』が発売されているので、同作についても少し触れておきたい。
 ゲームの雰囲気やシステムは『1』を完全に踏襲しつつ、2段ジャンプができるようになったりとわかりやすい進化を果たした『2』だが、前作とは決定的に異なる点として“わかりやすい物語”の存在が挙げられる。

 舞台となるのは、ヘドロの海に浮かぶゴージャスな高層ホテル“シギーシティ・スイート”。前作でタガーとしての名声を高めたゴーストは、親友で人気ラッパー“ビッグマッド”らと新曲レコーディングのためにこのホテルに宿泊し、部屋を破壊せんばかりの乱痴気騒ぎを起こす。翌朝、空っぽのバスタブで目を覚ましたゴーストは、ビッグマッドが行方不明になったことを知る。レコーディングまでに彼を見つけるため、ゴーストは再び薄汚い世界をスプレー缶とともに飛び回ることになるのだ。
 PC画面→いきなりゲームスタートという唐突な始まりかたこそ前作のままだが、『2』には明らかにプレイヤーに物語を理解されるための“導線”が引かれている。

 また、前作にも感じられた反権力的、あるいはグラフィティ用語で言うところの“Vandalism(ヴァンダリズム=公共物破壊の行為)”の思想はより明確となり、作品全体に不穏なトーンが漂う(サウンドも明らかにハードでドラマチックになった)。不穏と言えば、シギーシティ・スイート内部ではすべてを飲み込む菌のようなものが大量発生しており、それも物語に絡んでくるのだ。
 ゴーストの描くグラフィティにも変化が生じた。
 前作では基本的に自分の名前かアイコンしかBOMしなかった(タガーどうしのコラボグラフィティは除く)が、『2』ではメッセージ性が明確なグラフィティも登場する。それをゴーストの成長と捉えることもできるだろうし、あるいはグラフィティから派生したストリートアートの領域に本作が足を踏み入れた、と見てもいいだろう。

 『1』から『2』に見られる進化と変化に、なんとなく現実世界の不愉快な状況を重ねていろいろと考えてみたくもなるが……まあ、そんな遊びかたはたぶん“らしく”ない。もっと気楽に向き合ったほうがこのゲームは楽しい。
 とは言え、世界的な猛暑のせいで、いま現在の現実世界が物理的に不愉快極まりないのも事実だ。
 クソ暑い夏休み、外に出かけるのはやめて、薄汚いけど居心地はいいSLUDGEに肩までつかってみるのも乙なもんじゃないだろうか。要素の完全収集を目指さなければ、『1』と『2』両方プレイしても5時間くらいで終わるしね。

『SLUDGE LIFE 2』Steamサイト
執筆者紹介:ヨージロ
元ファミ通編集部ニュース班。少年時代はよく蝋石でアスファルトに落書きしていました。
■参考文献
トニー・シルバー,1983(製作),『Style Wars』[DVD]
大山エンリコイサム,2015,『アゲインスト・リテラシー ─グラフィティ文化論』,LIXIL出版

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...以下引用元参照
引用元:https://www.famitsu.com/news/202308/12312299.html

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