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<毛利シリーズ⑤話>
時は戦国時代 初期
永正13年(1516) 夏
安芸国北部の国衆である毛利家の主 毛利興元が亡くなったことを受け、その嫡子 幸松丸が2歳の若さで家督を相続。
興元の弟 毛利元就は幼い幸松丸の後見役となり 大大名 大内義興、そして急速に勢力拡大を進める尼子経久に挟まれながらの舵取りを担うことになった。
局面が変わったのは 幸松丸が家督を継いで5年が経過した大永元年(1521)
姻戚先の高橋家や吉川家が 相次いで尼子派に転じたことだ。
それを受けた元就は 時流に逆らう時では無いと判断し 大内から尼子へ転じることを決めた。
尼子家当主 尼子経久は 安芸分郡守護 武田元繁を謀略で討った元就が傘下に加わることを喜ぶ一方、毛利に力を持たせることは安芸支配の弊害になると考え、大内の西の拠点 桜尾城、そして東の拠点 鏡山城攻めの両先鋒を元就に命じるも、元就は巧みに謀を巡らし 両城の奪取を成功させ経久の思惑を覆してみせた。
しかし その戦いから数カ月後 幸松丸が病によりこの世を去ってしまった。
毛利家嫡流の断絶により 家督は 後見役である毛利元就が継ぐ動きが濃厚になるも、尼子経久は孫を毛利家の養子に入れ 惣領主とさせる介入策に動いた。
しかし元就の参謀 志道広良の機転により 尼子の介入は未然に防がれ、重臣一致で元就が毛利家の当主となった。
経久は ならばと 元就や志道の政に納得していない尼子派の坂 広秀や渡辺 勝を煽り 元就の腹違いの弟 相合元綱を擁立する動きに出るも、それを読んでいた元就は 心を鬼にして 弟 相合元綱 そして坂 広秀 渡辺 勝を粛清した。
この動きはすぐにも鏡山城代 亀井秀綱の耳に入り、毛利への家督介入の手を全て封じられたと 出雲国に早馬を飛ばした。
その頃 経久は西伯耆の米子城に入り、伯耆侵攻の指揮を執っていた。
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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
※イラスト提供:史環 殿
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