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【合戦解説】細沢山の戦い 大内・備後山名 vs 尼子 〜 伯耆を制圧した尼子経久は次なる狙いを備後に定める 〜 <毛利⑦>

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チャンネル名

チャンネル:YUKIMURA CHANNEL

チャンネル説明

<毛利シリーズ⑦話>

時は戦国時代 中期

大永3年(1523)7月
安芸毛利家当主 毛利幸松丸が9歳の若さで病死してしまった。
嫡流断絶を受け当主は幸松丸の後見役である叔父の毛利元就が継ぐことになるも、尼子経久や亀井秀綱の介入により 元就の弟 相合元綱を擁立する動きが起こる。
それを察知した元就は 内乱になる前に手を打つべきと決め、心を鬼にして 弟や それに従う坂 広秀 渡辺 勝ら重臣を粛清した。

尼子への不信感が日増しに強くなっていく中、安芸国を尼子から奪い返すべく、周防・長門の太守 大内義興自ら25000の大軍勢で攻め込んで来た。
安芸国を託されていた亀井秀綱は武田の居城 銀山城を狙いに来た大内義隆率いる15000の軍勢を
毛利元就の奇策により撤退させる大勝利を収めるも、兵糧攻めを受けていた桜尾城の厳島神主家当主 友田興藤を救うことができず、安芸国衆らの心は尼子から離れだした。

大内軍の指揮を託された陶 興房は、武田の前に 尼子衆を出雲に撤退させる策に切り替えると、沼田や竹原の小早川や毛利元就を調略したうえで、永5年(1525)春 尼子の拠点 鏡山城攻めに動いた。

元就の裏工作により どこからも援軍を得られなかった鏡山城の亀井秀綱は、安芸からの完全撤退を条件に城を開城し出雲へ帰っていき、最後まで抵抗を続けていた 米山城の天野興定も元就の説得を受け城を大内に明け渡し、武田や吉川を除く安芸の大半が再び大内派になることとなった。

その頃 尼子経久は反抗する伯耆国衆を蹴散らし、守護 山名澄之を降伏させ伯耆の制圧を終わらせていた…

[ご覧になられる方へ]
※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
※イラスト提供:史環 殿

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